華政(ファジョン)

コラム

貞明公主の生涯

貞明公主(1603-1685)は朝鮮14代王・宣祖と仁穆王后の間に生まれた唯一の嫡流王女だ。異母兄・光海君によって弟の永昌大君が死に追いやられた後、貞明公主は母の仁穆大妃とともに慶運宮(現在の徳寿宮)に幽閉された。仁穆大妃は娘の命まで奪われることを恐れ、光海君には「貞明公主は死んだ」と話していた。『華政』で描かれた通り、謙虚で情に厚く、民に愛されていた貞明公主。清による二度目の侵攻が起こった際、江華島に避難することになった彼女は、自身の財物が積まれた船を見て、「財物をすべて降ろして、先に民を乗せなさい」と臣下に命じたという。
貞明公主は宣祖、光海君、仁祖、孝宗、顕宗、粛宗まで6人の王の時代を生き、3歳年下の夫、ホン・ジュウォン(洪柱元:1606-1672)との間に7男1女をもうけた。『秘密の扉』に登場するホン・ボンハン(洪鳳漢)や彼の娘で思悼世子の正妃・恵慶宮ホン氏、そして正祖の時代に活躍したホン・グギョン(洪国栄)も彼らの子孫にあたる。

火器都監とは?

〈火器都監〉は、鉄砲を作るために設置された朝鮮時代の臨時官庁だ。1592年、壬辰倭乱で豊臣秀吉軍の鳥銃(火縄銃)による攻撃を受けた朝鮮は、これに対抗するため鉄砲を製造する〈鳥銃庁〉を作った。光海君の即位後、後金の勢力拡大に伴って朝廷内で鉄砲の製造を重視する声が高まると、1614年に鳥銃庁は〈火器都監〉と改称された。〈火器都監〉が置かれていたのはソウルの北村韓屋村に近い場所で、現在は正読図書館の入口に跡地を示す石碑が立っている。『華政』には、死んだと思われていた貞明公主が倭国で硫黄の精製法を身につけて帰国し、〈火器都監〉の職人になるというフィクションが加えられている。貞明公主の活躍と〈火器都監〉の職人たちの微笑ましいやり取りは必見だ。

『華政』に登場する4人の王~宣祖、光海君、仁祖、孝宗の時代~

14代王・宣祖は嫡子に恵まれず、寵愛する側室の仁嬪金氏が産んだ信城君を世子候補としていた。ところが信城君が病死したことから、宣祖は壬辰倭乱の戦乱の中で光海君を世子に冊封。しかし、明は長男の臨海君がいるとの理由で光海君を正式な世子と認めず、朝廷内では世子の擁立をめぐって勢力争いが巻き起こった。その後、継妃に迎えられた仁穆王后が待望の嫡子・永昌大君を産むと、光海君の立場はいっそう危うくなる。紆余曲折を経て15代王の座に就いた光海君は、王権強化のために臨海君や永昌大君を謀殺し、仁穆大妃を慶運宮に幽閉した。
その頃、中国では後金(のちの清)が勢力を伸ばし、明を圧迫。光海君は明・後金との関係を維持する中立外交を行うが、1623年、綾陽君(仁祖)はこれを不満とする西人派を後ろ盾としてクーデターを起こし、16代王に即位する。仁祖は親明外交を実施したため、朝鮮は二度にわたって後金の侵攻を受けることになった。仁祖の息子、17代王・孝宗はこの屈辱を胸に抱いて王座に上がり、清を討伐する「北伐」を推し進め、軍事力強化に努めた。

タイトルロゴは貞明公主の書道作品!

幽閉中、貞明公主は母である仁穆大妃の心を癒すため、石峰体(※)と呼ばれる筆法を習得し、《華政》(澗松美術館所蔵)をはじめとした数々の書道作品を完成させた。本作のタイトルロゴに使われた「華政」の2文字も貞明公主の筆跡だ。《華政》は一文字が73センチ四方にもなる大作で、その力強い筆運びから“華やかな政治"“輝かしい政治"を目指した情熱と、激動の時代を生き抜いた彼女の意志の強さがうかがえる。
※朝鮮4大名筆家のハン・ホ(韓濩:1543-1605)による漢文の毛筆書体。「石峰」はハン・ホの雅号。